13. 禁煙日記 – 口が荒れてきた

(禁煙第三週)口が荒れてきた

<旧ホームページより転載 2003年7月綴>


禁煙日誌

日付 曜日 日数 本数 日誌
7/10 15 0

実は昨日、朝起きたときに口臭が気になった。自分でもわかるほどの口臭であったのでこれをどうしようということばかりを考え、なぜそうなったかということには思いがいたらなかった。
その日は、歯を磨き口を濯ぐと口臭が消えたわけではないが、それほど強烈ではなかったので一件落着してしまった。口臭が気になることは何も初めてではなく、酒を浴びた翌日や体調がよくないときなどは自分でも気づくので、昨日もその程度だったのである。

しかし、今日も朝起きると口臭が強烈だった。朝、寝床でまどろみながらも今日は明らかに舌の先が荒れていることがわかる。今までの経験から、昨日酒を飲んだわけではないので原因は体調にあると考えた。しかし、体調はすこぶる良好である。自分の体調で変化があったとすれば禁煙である。

「禁煙をすると舌が荒れるか」ということを考えてみた。禁煙をするとその初期にはニコチンやタールが体から抜けるため、タンや排泄物にそれらが混じっていることがあるそうだ。私のもその一環ではないかと考えてみるものの、舌が荒れることは体にとってマイナスであり、不要な物質が体から抜けるプラスの現象とは一致しない。

そこで、ふと思いついたのがガムと梅である。禁煙前までは考えられないこの習慣により口の中が荒れたのではないかということである。キシリトールのガムや乾燥梅はどう考えても中性ではないし、それなりの口内刺激から考えると、これらを1日中口の中に入れていれば口の中が荒れてもおかしくない。

私の中で原因は解明された。ガムや梅の量をコントロールする必要があるのだが、禁煙による心のよりどころまでももぎ取ってしまうことになる。いまさら禁煙を止めるわけにもいかないし、口の中が荒れて口臭がきつくなる訳にもいかない。口が荒れれば消化器系に悪影響が出ることは私の経験則からあきらかである。

不安いっぱいでガムや梅を口に入れることをやめる。

7/11 16 0

東京ビッグサイトへ行った。半日歩いていたので口寂しい病はほとんど発病しなかった。ガムや梅無しで1日を過すことができた。

この日の感想としては、私の心の葛藤は「禁煙対喫煙」ではなくて「口に物を入れるか入れないか」になっている。

7/12 17 0

やはり、舌が荒れている。朝、起き掛けの口臭もやはり気になる。ガムや梅の大量摂取が原因と思っているが、やめてから2日たつが改善の兆しがない。

朝起きて歯を磨くまではかなり強烈な感じがするが、朝起きてすぐ歯を磨くので起き掛けの口内不快感はその段階で劇的に軽減する。歯磨き後には、口臭や舌のザラザラ感がほとんど感じられないので、日中それを感じることはほとんどない。それゆえに朝起きた直後の不快感たるや尋常ではない。

とにかく様子を見る。

7/13 18 0

たばこをやめて、ガムや梅をやめて、「口寂しい病」と戦っているが、その戦いもそれほど苦にはならなくなった。しかし、たばこをやめたことによるもうひとつの副作用を痛切に感じるようになった。

たばこをやめた当初は、
「口寂しい病」を紛らわすために間食が増え太る
という構図を思い描き、ガムと梅という防御策を講じた。

しかし、最近はちょっと違う症状のように思う。それは、たばこをやめたことで食欲が増進したのではないかと感じるためである。
食欲が増進して空腹感がより強くなり間食に対する欲求が出て太る。
という症状のように変化したように思う。

この年になると「食欲増進」となって、「はいそうですか」と簡単に受け入れるわけにもいかないので、食欲を抑制するようにしなければならない。

禁煙とは、次々と難題が降りかかる厄介なものだとつくづく感じる。
っと同時に、そんなやっかいなことをしている自分がいとおしく思い、禁煙に対する姿勢が強固なものだと感じる。

7/14 19 0

今日の朝は、口内異変がかなり軽減したように思う。私の考えでは、やはりガムや梅という刺激物を短期間に大量に取ってしまったことで、口内特に舌が反応し、強烈な口臭になったのだと思う。
(相変わらず、医学的根拠のまったくない私感である)

7/15 20 0

あれほど欠かさなかった食後の一服も今は特に望まない。起き掛けの一服や寝る前の一服も意識しなくなった。今目の前にたばこがあっても、それに火をつけて吸おうという気は多分起こらない。

ところが、人がたばこを吸っているのを見るとうらやましく思う。つまり、たばこではなくたばこを吸っている人には羨望の気持ちがまだある。

すーっと吸っている様子をみると、
「あー、今ニコチンが体の中に入っているんだなー」
と思う。

はーっと吐いている様子を見ると、
「あー、あの瞬間がいいんだよなー」
と思う。

たぶん、物質的なニコチン依存症状は脱していると思うのだが、忘れえぬ快楽の記憶がまだ残っているのだと思う。記憶に対してとる対抗策は思いつかない。たばこを吸っている人を見ないことが唯一の抵抗であるが、別に見たくて見ているのではなくたまたま目が行ってしまったのだから防ぎようがない。

あのきんさんぎんさんが名言を残している。
「長生きの秘訣は」と聞かれて、「忘れることだ」と言った。
今まで生きてきて辛いことがたくさんあったそうだ。それをすべて記憶していたのでは心身ともに持たないと言う。たしかに2人が生きた時代背景を考えればわれわれの想像を超えた辛酸をなめてきたことは容易に想像がつく。昔のことを上手に忘れてきたから長生きできたのだそうだ。

今の私には、上手に忘れることのひとつがたばこである。

7/16 21 0

禁煙とそれに伴う諸症状や諸現象がひと段落し、安定期に入ったと思う。これで、一生禁煙できるという自信はまだないが、今回の禁煙は相当の期間続くとは思う。もし、再び喫煙する時には、最初の一本を吸うためのよほどのことがあったのだと思う。

そういうことになったら、今度は喫煙日記をつけてみる。

<旧ホームページより転載 2003年7月綴>

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です